2025年を通して引退ツアーを敢行したジョン・シナ。その道中は計画変更の連続でした。
最新のインタビューで、彼は引退ツアーがいかに予定通りに行かなかったかを語った上で、「それでも最高の結果が得られた」と考えていることを明かしました。
AJスタイルズへの謝罪
AJスタイルズとの試合で、彼の紹介文を考えたのは俺なんだ。独断だったし、彼には謝ったよ。謝罪は自分で選んでやったことだ。やらなきゃいけないことだったんだ。ただ気分が落ち着かなかったからね。
もし事前に許可を求めていれば、十中八九許されただろうし、間違いなく許可を得ていただろう。俺は常に、納得できる説明を求めているんだ。
誰かが「ダメだ」と言っても、その理由が納得できるものなら、「ああ、じゃあダメだな」で済む話だ。誰かが提案をしてくれて、それに良い説明があるなら、それで構わない。俺のクリエイティブな道筋や、配られたカードへの適応力の多くは、そこに納得できる説明があったからこそだ。
インタビューで「こうだったら良かったのに」とおしゃべりすることもできるし、「現実に起きたこと」に対してどう反応するかを選ぶこともできる。俺は、現実に起きたことを最高のものにするために死に物狂いでやる方を選ぶよ。
「たられば」よりも「起きたこと」に集中する
この1年のストーリーには、ファンが気に入った瞬間もあれば、嫌った瞬間もあった。「違う展開ならよかったのに」と思われた瞬間もあっただろう。でも、それはある人間の存在の「縮図」みたいなものだね。
WWEでのジョン・シナの23年間を見てくれよ。「ああ、あの瞬間が違っていたらなあ」「あの魔法のような相性の相手ともっと戦ってほしかった」「なんであんなアングルを組んだんだ?」「なんであんなことしたんだ?」って、いろんなことを思うだろうね。
今回のツアーは、俺がやってきたことの縮図なんだ。少なくともこの全てを通して、俺のリアリティの小さな縮図を見せられたことが気に入っているよ。ファンはそれを愛し、そして憎んだ。俺と同じだよ。「レッツゴー、シナ」「シナ、サックス」だ。
この1年は、「レッツゴー、シナ/シナ、サックスめの短縮バージョンのようなものだった。そして気づくんだ。これは俺だけの問題じゃなく、俺たち全員のことなんだって。みんなで感情を吐き出しているだけなんだ。
……深くなりすぎたな。とにかく、俺は「こうあり得たかもしれない」という可能性には重きを置かない。誰かが降りることを選んだり、選択肢がなくなったりしても、それはそれで構わない。
変更に次ぐ変更
これだけ多くの変更(ピボット)があったという事実が、俺は好きなんだ。AJ、ブロック・レスナー、レッスルマニア41後の展開……。全部ピボットだ。それがあったからこそ、ランディ・オートンやCMパンクともやれた。
ローガン・ポールとのシングル戦もできたし、ドミニク・ミステリオ、ロン・シナ(Rトゥルース)、サミ・ゼイン、そしてSummerSlamでのコーディ・ローデス戦も実現したんだ。
これらすべての素晴らしい瞬間は、変更があったからこそ手に入った。「こうだったら良かったのに」なんて一度も思わなかったよ。手に入れたものを見てくれって話だな。
(WrestlingNews.co)
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