1990年代のWWFで大活躍したヒットマン、ブレット・ハートにとって、先日亡くなったハルク・ホーガンは「苦い思い出のある相手」です。
テクニックに絶対的な自信を持つブレットは、現代のプロレス界を支える選手たちがゴールドバーグやハルク・ホーガンではなく自分やショーン・マイケルズへのリスペクトを語ることに誇りを持っていることを公言していました。そんな彼にもホーガンの功績は否定できませんが、やはり言いたいことはあるようです。
最新のインタビューで、ブレットはホーガンの死について語り、その「複雑な偉大さ」やかつてのやり取りを振り返りつつ、ホーガンの人間性や「次世代を担う若手を誰も引き上げなかったこと」を批判しました。
ハルク・ホーガンののやってきたことは否定できない。プロレス界への足跡は常に巨大なものだし、これ以上のものはないかもしれない。しかし、ロディ・パイパーが俺にしてくれたように、ホーガンは次世代を担う誰かを引き上げるようなことを誰にもしなかったね。ジェイク・ロバーツもそう。あの二人は、俺にとってそういう存在だよ。
俺が大きなプッシュを受けられるようになった1992年のWWF(WWE)には、かつてのパイパーやキングコング・バンディのようなヒールは誰もいなかったんだ。王者となった俺には、まともに戦える相手がいなかったんだよ。
1992年のWWFはエレベーターが下に落ちていくような厳しい時期で、すべてが急速に沈んでいった。翌1993年にはホーガンも離脱し、ステロイド・スキャンダルも重なった。ホーガンは「俺はステロイドを使っていない」と言っていたけどね。あの頃のすべてがビジネスに悪影響を及ぼした。ホーガンの芸風も、当時はもう飽きられていたと思う。
なぜ俺がプッシュされたのかは分からない。でも、俺は安全パイだった。ジェイク・ロバーツみたいにバッグにコカインを持っているようなタイプじゃないし、ドーピング検査にも引っかからない。だからビンス・マクマホンは俺を選んだんだ。「もうスキャンダルはたくさんだ。ブレット・ハートならやらかさないだろう」そう考えたんだと思う。だから任された。
WWF世界ヘビー級王座を取った日に、俺はこう思ったんだ。ホーガンが俺の背中を叩いて「お前が選ばれてよかった」と言ってくれる……とね。でも、実際はそうじゃなかった。俺がベルトを取った瞬間、彼にとっての俺は敵以外の何者でもなくなった。欲しいものを持っている男だから。だから、あの日を最後にホーガンと友達には戻れなかった。これは俺のせいじゃない。俺はずっと正直だった。
ホーガンは小学校のガキみたいなものだ。嘘ばかりつくやつ、いるだろ?典型的なホラ吹きだ。時にはそういうガキを蹴っ飛ばさなきゃいけない。ホーガンはそういうホラ吹きだったと思う。
(Fightful)
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