プロレス界屈指の頭脳を持つポール・ヘイマン。彼の人生は波乱万丈です。
1990年代にカルト的な人気を誇ったECWを率い、21世紀にはWWEでマネージャーとして大活躍。その知識や経験は誰からも重宝され、若手レスラーの教育係を任されるなど非常に信頼されています。
しかし、現在の地位を築くまでの歩みは大変でした。ステファニー・マクマホンのPodcast番組に出演した彼は壮絶な生い立ちを告白。ADHDに悩まされてきた経験や、かばってくれた父への感謝。そしてホロコーストを生き延びた母から受けた影響を語りました。
ADHDと父親
俺は1965年生まれなんだけど……70年代初頭、小学校に通っていた頃のアメリカではADD(注意欠陥障害)が大きな話題になっていたんだ。もちろん、俺はただのADDじゃ済まなかった。ADHD(注意欠陥・多動性障害)だったんだ。俺は何事も中途半端にはやらない。
医者からADHDだと診断された後、両親は学校に呼び出されてこう言われたんだ。「息子さんはADHDなんですよね。特別学級に入れますよ」と。
そして親父は即座にこう返した。「あいつの成績はどうなんだ?」ってね。「ああ、問題ないですよ」という返事を聞いて、さらにこう言った。「あんたたちは、それを障害だと思ってるよな。でも俺は、あいつがマルチタスクの才能を持ってると思ってる」とね。俺は教室に帰らされたけど、後で母に聞いたら「お父さんは学校の奴らをコテンパンにやっつけてたよ」だってさ。
俺は、自分自身の欠点を利用する方法を学んだ。普段なら一つの物事に集中することはできないけど、例えば爆音で音楽を流して気を散らせば、一つの何かに集中できることを知った。それに、「超集中」の能力もあるんだよ。20時間ぶっ通しでパソコンの前に座り、一度もトイレに行かないこともできる。親父は聡明だったね。俺の欠点を「マルチタスクの才能」と考えていた。ADHDは問題ではなく、解決策なんだよ。
親父はこう思ってた。「あいつは、常にサメとチェーンソーをジャグリングするような、両立困難なことをしなきゃらならなくなるだろう。そういう奴だからな。自分の道を見つけ出すはずだ」とな。16歳で高校を卒業した貪欲な読書家で、極めて明瞭かつ雄弁な男。カリスマ性があり、ストリートで通用する賢さを持っていた。親父はそんな人間だ。
壮絶な過去を持つ母親
そして、母はそんな父と同じくらい賢い人だった。ユダヤ系だったこともあって第二次世界大戦のせいで子供の頃に教育の機会を奪われたから、そういうことに貪欲なんだよね。飽くなき学習意欲を持っていたよ。バッドアスで、獰猛な精神の持ち主。40代で大学に入って、満点のGPAで卒業したんだ。
母はゲットーを生き延びた。13歳の時、いとこが餓死するのを見た。自分のおばあちゃんが二人とも餓死するのを見た。16歳か17歳の時にアウシュビッツに送られた。
収容所行きの列車から降りた時、母の運命は変わったんだ。母の母親…俺のおばあちゃんと母の7歳の妹は「そっち側」に降ろされた。1時間もしないうちに、2人はガス室で死んだのさ。母は悪名高い「死の行進」にも加わった。1945年4月15日に解放された時には……家族は誰もいなかった。
母のお陰で、俺は何も怖くなくなったよ。どこかから解雇されることだって、母の経験と比べたら大したことはない。誰かが俺を殺しに来るって?やってみろよ。それだって、母の経験の方がよっぽど大変だよ。
子供の頃、母に言われた。「いいかい、もしパパと私が酔っ払い運転の車にはねられたら、もし私たちが家に帰らなかったら……それでもお前は前に進むんだ。進み続けるんだよ。25歳になったお前が落ちぶれている姿なんて見たくない。私はお前に、世界の頂点に立ってほしいんだ」とね。
(WrestlingNews.co)
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