2023年、ウィル・オスプレイはケニー・オメガと二度にわたって凄まじい激闘を繰り広げました。
2019年に新日本プロレスを退団してAEWへ合流したケニーは、オスプレイとジェイ・ホワイトに「これからの新日本プロレス」を託しました。
当時のオスプレイはケニーをとてもリスペクトし、彼にできることを最大限にやり遂げました。しかし…2023年の抗争の際に、ケニーはそうしたオスプレイの努力を否定するように煽り、これがオスプレイを激怒させました。
AEW Unrestrictedに出演したオスプレイは、ケニーに対する苦い思いを告白しました。
ケニーに対するリスペクトの念はあるんだ。彼がAEWを設立するために新日本プロレスから去った時、彼は俺とジェイを呼び出して、新日本をどれだけ大切に思っているかだったり、「お前たちが旗手にならなきゃいけない」と言ってくれた。
俺はケニーを崇拝していた。彼はまさに「The Man」だった。特に、新日本の黄金時代に大きく貢献したケニー・オメガを知っている人たちは、彼には誰も近づけなかった。
俺は、やり遂げていたと思っていたんだ。特にジュニアヘビー級のレスラーとしてね。ジュニアヘビー級として扱われるのがどれだけ大変か、わからないだろう。俺はNEW JAPAN CUPに、G1クライマックスに出場したんだ。1年間でNEW JAPAN CUP、ベストオブザスーパージュニア、G1クライマックス、ジュニアタッグリーグに出場したのは俺だけだ。他の誰もやったことがない。ジュニアとしてやったのは俺だけ。
そして、パンデミックが始まった。地獄だったよ。言いたくもないが、新日本にとって最悪の出来事だった。日本にいた外国人レスラーの多くが影響を受けた。
それでも、手足を縛られて海の底に沈められたような状態でも、俺は何とか新日本に命を吹き込むことができた。信じられないような試合を、完全な無音の中でやり遂げた。観客は声援を送ることすら許されず、40~60分の試合を拍手だけでこなした。プロレスの本質を奪われたような気持ちだった。プロレスはコンサートのようなもので、お互いにパフォーマンスし合うものだからだ。
そんな状況を経験したことのない彼が、こんなに小さな窓しかない部屋に2週間も閉じ込められたことのない彼が、あんなことを言うなんてな。
日本の部屋に閉じ込められ、時には息をすることすら許されない。ただ箱を与えられ、寿司を楽しめと言われる。楽しめないこともあった。本当にひどい時期だったんだよ。
それでも俺たちは何とか息をする方法を見つけた。蹴ったり叫んだりしながらも、何とか道を見つけた。それなのに彼は俺の仕事を軽視した。
俺は二度と彼をかつてと同じように見ることはない。絶対にない。彼に対するあらゆる尊敬の念を失ったよ。人間として彼が好きじゃない。
彼は俺の前に立ちはだかる壁だった。レッスルキングダムでの試合では、彼は俺をボコボコにした。8対2くらい大差をつけられたよ。でも彼の庭で、彼の地元カナダでのForbidden Doorの試合では……俺は彼を挑発したかった。俺が東京ドームで感じたことの、ほんの一部でも彼に感じてほしかった。
レッスルキングダムでは、俺の方が地元の男だった。新日本プロレスでまたケニー・オメガに会えたことにみんな喜んでいたけど、彼がヤング・バックスと一緒にBeing The Eliteで何度も新日本プロレスを卑下していた時に、俺が新日本プロレスに留まり、命を吹き込んだことを尊重してくれたよ。
俺は彼をリスペクトしていない。今はノーリスペクトだ。彼の能力を尊重しているかって? もちろん。でも人間としては? もう彼のことなんてどうでもいい。
オスプレイがコロナ禍の日本でどれほど苦しんでいたかは、以下のインタビューでも語られています。
(Fightful)
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