兄タマ・トンガとのタッグチーム「ゲリラズ・オブ・デスティニー」のメンバーとして活躍するタンガ・ロアが、Bullet Clubの歴史において非常に重要な時期だといえる「2018年」について語りました。
2018年、当時のリーダーだったケニー・オメガとCodyとの間に生じたイザコザがきっかけでBullet Club内の人間関係に亀裂が生じ、”Bullet Club OG”と”Bullet Club ELITE”の2チームに分裂するという騒動がありました。ロアはOGの一員として、ケニーやヤング・バックスなど、現在のAEWの中心メンバーが所属していたEliteと対立する立場でした。
この時のことについて、彼はどう考えているのでしょうか?
みんなもわかると思うけど、あの時のBullet Clubには本当の違いがあったんだ。ケニーやバックス、Codyといった才能溢れるメンバーがいた。マーティ(・スカル)もそうだよね。
Bullet Clubのオリジナル・メンバーたちは、ルーツや伝統、ユニットが結成された当初の考え方が失われたような気がしていたんだと思う。だから、ブレーキを踏んで、Bulle Clubのメンバーであることを認めさせる必要があったんじゃないかな。サンフランシスコは俺たちが超えてはならない境界線を示さなければならなかったポイントだったと思う。
2018年7月17日、アメリカ・サンフランシスコのカウ・パレスで行われた”G1 Special In San Francisco”のメインイベントはIWGPヘビー級王者のケニーと、彼との意見が対立していたCodyによるタイトルマッチでした。試合はケニーが防衛に成功。2人は和解を果たすものの、GODがケニーを襲撃し、Bullet ClubはOGとELITEの2つに分かれてしまいました。
ケニー主導のダークヒーロー路線に対して不満の声を上げるファンもいたのは事実。プリンス・デヴィット、AJスタイルズと共に築き上げてきたユニットに変化が生じることへの反発が内部からも湧き上がっていたのであれば、あの分裂は必然だったのでしょう。新日本にケニーの居場所がなくなってしまったのも運命だったのかもしれません。
ケニーの退団後、ジェイ・ホワイトがBullet Clubの4代目リーダーに就任し、ユニット内には結成当時の価値観が蘇りました。後にELITEがAEWを旗揚げすることも考えると、この日のOGの行動がプロレス界に与えた影響は大きかったと言えるかもしれません。