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【AEW】メルセデス・モネ「ずっと、女子プロレスの定義を変えたかった。ディーバではなく、エディ・ゲレロのようなプロレスラーになりたかった」

インタビュー

WWEで大成功を収めた後AEWへ移籍したメルセデス・モネ(サーシャ・バンクス)。女子プロレス界のトップランナーである彼女は、子供の頃から大きな野望を実現するために努力を重ねてきました。

かつて、アメリカのプロレス界における女子レスラーたちの扱いは決して良くなく、試合時間が短かったり色気要素が強かったりと、男子レスラーたちと比べると「真剣なもの」だとは思われていない時期がありました。そんな中で、WWEは2010年代にディーヴァ路線を廃止。さらにペイジやフォー・ホースウィメン(シャーロット・フレアー、ベッキー・リンチ、ベイリー、サーシャ)らが女子部門の地位向上に大きく貢献し、現在のWWEがあります。

モネは、出演したPodcast番組で「10歳の頃からプロレスラーになることを夢見ていた」ことを明かし、母親から困惑された思い出を語りました。彼女はエディ・ゲレロのようなプロレスラーになりたかったが、当時の大人たちは、女子がそんな存在になれると誰も思っていなかった…。そんな時代を物語るエピソードです。

10歳の時からプロレスこそが自分の天職だと思っていた。母に「プロレスラーになりたい」とずっと言っていたんだけど、テレビで「ブラ・アンド・パンティーマッチ」や泥レスを見て「これがやりたいの?」と言われたものだよ。

 

でも、私はこう答えた。「違うよ、ママ、次の試合を見て。エディ・ゲレロみたいにやりたいんだ、女子として」って。子供の頃にプロレスに救われたから、必ずプロレスラーになる夢を叶えて「ディーヴァ」の定義を変えると決めていたんだ。

WWEへ入団した彼女は、NXTでHHHやダスティ・ローデス、ウィリアム・リーガル卿らが女子部門に光を当てるために尽力する中でスター選手として台頭。そんな中で、2015年のNXT Takeover: Brooklynで行われたベイリーとの歴史的名勝負に挑むことになりました。

HHHがNXTに関わるようになり、ダスティが情熱を持って生徒を指導し、リーガルも後押しした。「女子にチャンスを与えよう」と決めてくれたんだ。最初に見た女子の長時間試合はペイジとエマで、20分間もあって衝撃を受けた。「私もこういう試合がしたい」と強く思ったな。

 

その後シャーロット、ベッキー、ベイリーとの4WAYでは「この試合が大会を盗んだ」と言われた。そして私はNXT女子王者になり、バークレイズ・センターでのベイリー戦を戦った。あの試合をきっかけに女子プロレスが一気に高まり、景色が変わったと感じているよ。

女子部門を向上させるために切磋琢磨したフォー・ホースウィメンの友情は永遠です。彼女たちの功績が忘れられることはないでしょう。

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