結成10周年を迎えた新日本プロレスの大人気ユニット、Bullet Club。
プリンス・デヴィット(フィン・ベイラー)が作り上げたユニットは、リーダーの代替わりを続けながら非常に強い存在感を示し続けています。このユニットがなければ、現在のプロレス界は存在しなかったでしょうこのユニットでの活躍をきっかけに注目を集め、世界を変えたり、WWEでスターになったりしたレスラーがたくさんいます。
Sports Illstratedによるインタビューの中で、初代リーダーのデヴィットはユニット結成の裏側を語りました。
当初は、俺とバッドラック・ファレだけのユニットになる予定だったんだよ。でも、新日本のオフィスは、俺とカール・アンダーソンやタマ・トンガがどれほど親しく、どれだけ長い時間を共に過ごしているかを知っていた。それで、ユニットの名前を考えて、バックステージでの関係を広げてほしいと言われたんだ。
全員を結びつけるような名前にしたかった。アンダーソンの異名は「TheMachine Gun」で、ファレはフィニッシャーの名前を「ハンド・グレネード」と呼んでいた。あと、大会が始まる前にリング上でサブミッション・レスリングを繰り返していた俺のことを、鈴木みのるがずっと「real shooter」と呼んでたんだよね。
当時、彼が考えていたユニット名の候補は以下のとおりです。
- Bullet Club/Parade
- Reload Club
- Lock ‘n’ Load Club/Parade
- Getaway Club
俺にとっては、Bullet Clubが一番いい響きに感じた。ただ、日本人は「Bullet」を「Beret」と発音してしまうことがあるから、少しだけ心配もあったよ。ただ、俺は自分の直感に従うことにした。そして、ユニットは歴史に残るものになったんだ。
Bullet Clubは、俺の日本での時間を象徴するものだ。2つの出来事をよく覚えているよ。ユニットを結成して間もない頃、後楽園ホールでの試合で、俺はファレに肩車されながらリングへ向かった。そしたら、普段はリスペクトにあふれている新日本のファンたちが、俺たちに声を出してブーイングしたんだ。何人かの観客は、俺たちに殴りかかるほどの勢いだった。もう1つは、その出来事から数日経って、俺が新日本のオフィスに行った時のこと。彼らに言われたのは、Bullet Clubの不正行為に対する抗議の電話を受ける担当者を決めなきゃいけないんだ、って。
(SI)