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【AEW】ダスティン・ローデスが薬物依存との壮絶な戦いを語る。「強力な鎮痛剤の量がどんどん増えて…薬と酒だけが欲しかった」

インタビュー

先日、コーディ・ローデスは兄ダスティン・ローデスについて「WWE殿堂入りにふさわしい存在だ」と語り、その中で、兄が薬物依存から立ち直ったことを誇りに思っていることを明かしました。

かつて、プロレス界にはステロイドや強力な鎮痛剤などの薬物が蔓延し、多くのスターレスラーたちが依存症に苦しんできました。ダスティンもその1人で、1996年から2000年代後半にかけて、苦しい日々を過ごしていました。

【WWE】コーディ・ローデスが兄ダスティン・ローデスのWWE殿堂入りの可能性を語る。「条件を満たしてる。薬物依存から立ち直った最高の例だ」
1988年にデビューし、現在に至るまで存在感を放ち続けている大ベテラン、ダスティン・ローデス。 亡き父ダスティ・ローデスの意思を引き継いだ弟のコーディ・ローデスと共にローデスファミ...

2022年、彼はルネ・パケット(ルネ・ヤング)のPodcast番組に出演した際に、過去の壮絶な薬物依存との戦いについて語りました。古いインタビューではありますが、以下にその内容を掲載します。

何年も前のことだけど、膝を怪我してしまってね。1996年だったかな。その時にバイコディンという薬を2錠ほど飲み始めた。オピオイドという強力な鎮痛剤の一種だね。それで痛みが和らいだから、そのまま仕事を続けた。当時は今のように医師へ簡単にアクセスできる体制がなかったんだよ。

※バイコディンはオピオイドとアセトアミノフェンの合剤で、非常に辛い依存症を引き起こす依存性があります。しかし、アメリカでは簡単に入手可能できてしまうため、深刻な社会問題になっています。

ある夜、ビンス・マクマホンは、俺が薬を飲んでいるのを見たんだ。トイレには彼と二人きりで、俺は顔にペイントを塗っていた。ビンスは30分間もかけて、「そんなことはやめるべきだ。何かに依存するようになってはいけない」と話してくれた。彼は、薬物で破滅するレスラーや、死んでいくレスラーを見てきたからね。父親のように話してくれたよ。俺は、彼の話を聞きながら、顔にペイントを塗っていた。彼の言うことを尊重しようとしたけど、「やるべきことをやる」つもりだった。

薬を飲んで試合をこなすうちに、2錠だけ飲んでいたバイコディンが、4錠、10錠、20錠、50錠と増えていった。試合で最高のパフォーマンスをするために一生懸命働いたけど、俺の人生で起きていた他のすべてのことが薬物に取って代わられてしまった。うつ病、薬物……ついには、俺が欲しいものは「次の薬、次の酒、次のコカイン」だけになってしまったんだよ。

そこからは負のスパイラルだ。10歳の娘がいることすら見失ったよ。プロレスラーとしての仕事をしていたせいで、彼女と過ごす時間は少なかった。薬物依存や娘のことについて話すと、いつも心が張り裂けそうになるよ。薬物とアルコールに夢中になり、薬物を手に入れるために両親から「盗み」を働いていたなんて、本当に辛いことだ。

俺は家を持ってたんだ。でも、すべてを失ってしまった。持っていたものはすべて質屋に入れてしまったよ。2008年の終わりごろには、俺は誰かの家に接続された1台分のガレージに住んでいた。家賃は月に100ドル。小さなホンダ・シビックに乗っていた。

それでもまだ質屋に入れられるものや売れるものを探し、父ダスティ・ローデスから「盗もう」としていたんだ。「あれこれの請求書の支払いが必要なんだ」ってね。両親がお金を送ってくれたら、すぐに薬を買いに行くか、酒を買うか、ディーラーからコカインを買うか…。そんな感じだった。俺の言う「盗み」はこういうことだよ。

2008年の俺は本当に最悪の状態だった。何も気にせず、誰のことも気にせず、死にたいと思っていた。もう何も感じたくなかった。誰とも一緒にいたくないと思っていた。本当にタフな2年間だったね。それでも、妻が一緒にいてくれた。彼女はアルコール中毒でも薬物中毒でもない。彼女は俺のそばにずっといてくれたよ。

最後の2年間は、どこに行く気もしなかった。何もしたくなかった。多い日は一日に80錠の薬を飲んでいたよ。ウォッカを毎日のように半ガロンのみ、3日に1回はコカインをやってた。

それで、最後の一押しになったのは……ベッドに横になっていた俺は、本当に酔っていたのに「酔えなかった」んだよ。おかしいと思った。薬を飲みすぎたのかもしれない。めまいが酷くて止まらなかった。次の日も同じだったよ。酒や薬を飲んで、そこから抜け出そうとした。でも、何も起きなかったんだ。

妻が真夜中に起きたのを覚えてる。俺は、昼間にバイコディンや手持ちの鎮痛剤をすべて飲んで、コカインをやって、ウォッカを飲み、そして夜にはザナックス(悪名高い抗不安薬)を飲んで気持ちを落ち着かせた。命取りだよね。大きい錠剤を8錠か10錠も飲んだ。真夜中に目が覚めると、妻が俺を見ていたんだ。「さっきまで寝ていたのに、寝れなくなったな」と思って、さらに薬を2錠飲んだ。

底なしの地獄が始めってから3日目……神の介入か何かがあったんだと思う。午前3時で、外は雨が降っていた。目が覚めると、父からもらったプリペイドの携帯電話を持った妻が俺の隣りに座っていて、「もう十分だ」と言った。そして、父に電話をかけようとした。

その時の俺は本当にめちゃくちゃだったよ。妻は俺を外に連れ出そうとしていた。自宅からでは携帯の電波が入らないから、電波が入るところへ行くために丘を這い上がらなければならなかったんだ。俺は泥の中、雨の中を這い上がり……妻が手伝ってくれたけど、俺はよろめきながら泣いていたよ。父に「WWEに電話して、俺をリハビリ施設に入れてくれるように頼んでほしい」と伝えた。

その日ではなかったけど、WWEは俺にフライトの手配をしてくれた。彼らは、「ダスティンが飛行機に乗らないのではないか」と本当に不安だったらしい。俺は決心していたけど、彼らが不安に思う気持ちもわかるよ。飛行機に乗った時点で、俺はかなり酔っていた。空港で送迎サービスの男が俺を迎えに来てくれたんだけど、俺は「どこかで店に寄ってくれ。12パック買うからさ」と伝えた。リハビリ施設に着くまでに半分飲んだけど、それ以外のことは何も覚えていない。

8日間の医療的なデトックスを受けた。「心ここにあらず」といった感じの8日間で…深刻な離脱症状や震えなどは経験しなかったと思う。デトックスを始めてから2週間経つと、眠れなくなったんだよな。それは覚えてる。2~3週間経った頃から、久しぶりにいろんなことが分かってきた。両親と妻が面会に来てくれてさ。みんな「俺がどれだけめちゃくちゃになっていたか」を知っていたけど、それがみんなにとってどれだけの痛みだったか……。俺は知らなかった。自分にどれだけの痛みを与えていたのかさえ、俺は分からなかったんだ。依存症に陥ると、いつ手遅れになるか分からない。「俺ならなんとかなる」なんて、無理だよ。

依存から抜け出すことを決意した。まず第一に、娘より、仕事より、何よりも先に、自分の回復に取り組まなければならなかったんだ。「娘とこれをしなきゃ、あれをしなきゃ、仕事を見つけなきゃ、これをしなきゃ。俺はクリーンだ」と考えてしまうんだけど、そうじゃない。その段階にはないんだ。回復には長い時間がかかる。

それから2年間、俺は、AAミーティング(依存症についての体験談を語り合う場)に通った。何回かしか休まなかったよ。とても効果があった。ミーティングの部屋に座っていると、体験を共有するのが怖くなる。何も言いたくない。でも、3日間のデトックスを終えたばかりで、まだメチャクチャな状態でいる人だったり、30年くらいの経験を持つリーダーのような人を見ると、「クソ、俺もあんなにひどかったんだ。つい最近まであんな感じだったんだな」と思ったものだ。

(wrestlingHeadlines)

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