デビッド・フィンレーが、2026年まで所属した新日本プロレスには6か月だけ滞在し、その後WWEの育成機関へ進む計画だったことを振り返りました。日本での経験を気に入ったフィンレーは計画を大幅に変更し、約11年間も新日本を主戦場としました。
WWEやWCWで活躍したフィット・フィンレーの息子としてプロレスが身近な環境で育ったフィンレーは、15歳ごろに父へ「プロレスを人生の仕事にしたい」と伝えました。クリス・ジェリコのPodcast番組「Talk Is Jericho」に出演したフィンレーは、そこから父と組み立てた当初のキャリアプランを振り返っています。
自身も若手時代に日本での経験を積んでいたジェリコは、「若手が早い段階でテレビへ出るアメリカの環境とは違い、日本で経験を積んだことで人目にさらされる前にプロレスを学ぶ時間を持てた」と指摘しました。フィンレー自身も、当時の新日本には勢いがあり、自分にとってタイミングが非常に良かったと振り返っています。
タイガー服部との出会いから新日本へ
新日本入りする前のフィンレーは、イギリスでプロモーターのブライアン・ディクソンのもとを中心に試合経験を積んでいました。そこから、新日本のタイガー服部と出会ったことで、新日本でのキャリアが一気に動き出したといいます。
フィンレーは2015年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでのアレックス・シェリー戦で新日本デビューを果たし、その後はヤングライオンとして経験を積みました。成長したフィンレーは、ジュース・ロビンソンとのFinJuiceでIWGPタッグ王座を獲得。2023年にはジェイ・ホワイトの後を継いでBullet Clubのリーダーとなり、NEVER無差別級王座やIWGP GLOBALヘビー級王座を獲得したほか、2025年にはNEW JAPAN CUPを制覇しました。
2026年2月に約11年間にわたる新日本での活動を終えると、翌3月にAEW・Dynamiteに登場。現在はゲイブ・キッド、クラーク・コナーズとThe DogsとしてAEWで活動しています。
当初はWWEの育成部門へ進む前の6か月間だけを想定していた新日本が、結果的にはフィンレーのキャリアそのものを形作る場所になりました。もし、当初の計画通り新日本を離れWWEに入っていたら、フィンレーのキャリアはどうなっていたのでしょうか…?


(情報源: Talk Is Jericho / NJPW / AEW)






