【AEW】デビッド・フィンレーが「予想外に長くなった新日本プロレスでの日々」を語る。6ヶ月のはずが11年に

新日本プロレスAEWインタビュー

デビッド・フィンレーが、2026年まで所属した新日本プロレスには6か月だけ滞在し、その後WWEの育成機関へ進む計画だったことを振り返りました。日本での経験を気に入ったフィンレーは計画を大幅に変更し、約11年間も新日本を主戦場としました。

WWEやWCWで活躍したフィット・フィンレーの息子としてプロレスが身近な環境で育ったフィンレーは、15歳ごろに父へ「プロレスを人生の仕事にしたい」と伝えました。クリス・ジェリコのPodcast番組「Talk Is Jericho」に出演したフィンレーは、そこから父と組み立てた当初のキャリアプランを振り返っています。

15歳くらいの時、父とちゃんと話をして、「本当にこれを人生の仕事にしたいんだ」って言った。すると父は「分かった。じゃあこうしよう。まずアマチュアレスリングをやるべきだ」って。WWEのナタリアからも同じことを言われていたから、実際にやった。
そこから「よし、しばらくイギリスとドイツへ行って、そのあと道場に6か月くらい入って、それからNXTかFCW……当時どっちだったか分からないけど、そこへ行こう」という計画だった。
でも、日本での6か月が11年になったんだよ。本当に気に入ったからね。それに、自分に何か違うものを加えたかった。日本で経験を積むことには大きな価値があると感じていたんだ。

自身も若手時代に日本での経験を積んでいたジェリコは、「若手が早い段階でテレビへ出るアメリカの環境とは違い、日本で経験を積んだことで人目にさらされる前にプロレスを学ぶ時間を持てた」と指摘しました。フィンレー自身も、当時の新日本には勢いがあり、自分にとってタイミングが非常に良かったと振り返っています。

タイガー服部との出会いから新日本へ

新日本入りする前のフィンレーは、イギリスでプロモーターのブライアン・ディクソンのもとを中心に試合経験を積んでいました。そこから、新日本のタイガー服部と出会ったことで、新日本でのキャリアが一気に動き出したといいます。

それまで試合をしていたのは、ほとんどブライアン・ディクソンのところだけだった。それからタイガー服部と会って、「道場に来ていいよ。ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアから始めよう」と言われたんだ。

フィンレーは2015年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでのアレックス・シェリー戦で新日本デビューを果たし、その後はヤングライオンとして経験を積みました。成長したフィンレーは、ジュース・ロビンソンとのFinJuiceでIWGPタッグ王座を獲得。2023年にはジェイ・ホワイトの後を継いでBullet Clubのリーダーとなり、NEVER無差別級王座やIWGP GLOBALヘビー級王座を獲得したほか、2025年にはNEW JAPAN CUPを制覇しました。

2026年2月に約11年間にわたる新日本での活動を終えると、翌3月にAEW・Dynamiteに登場。現在はゲイブ・キッド、クラーク・コナーズとThe DogsとしてAEWで活動しています。

当初はWWEの育成部門へ進む前の6か月間だけを想定していた新日本が、結果的にはフィンレーのキャリアそのものを形作る場所になりました。もし、当初の計画通り新日本を離れWWEに入っていたら、フィンレーのキャリアはどうなっていたのでしょうか…?

【新日本プロレス】デビッド・フィンレーはBullet Club解散を希望も実現せず…。2023年のリーダー就任の裏側が明らかに
デビッド・フィンレーが、2023年にBullet Clubのリーダーとなった直後に「ユニットを解散したい」と新日本プロレスへ提案していたことを明かしました。しかし、新日本側は収益を理由に拒否。その折衷案としてBullet Club War Dogsが生まれたそうです。クリス・ジェリコのPodcast番組「Talk Is Jericho」に出演したフィンレーは...
デビッド・フィンレーがWWEではなくAEWに移籍した理由を明かす「友達がみんなAEWにいるし、自分の力はもう証明した」
デビッド・フィンレーが、2026年に新日本プロレスを退団した後、WWEはなくAEWを移籍先選んだ理由を明かしました。金銭面や日程に加え、新日本時代からの仲間と活動できること、自由さを保てる環境が決め手だったとしています。新日本で11年間活動、Bullet Clubを率いるまでに成長フィンレーはプロレス一家に生まれ、父フィット・フィンレーから指導を受けた後、2...

(情報源: Talk Is Jericho / NJPW / AEW)

タイトルとURLをコピーしました