現在のAEWにおいて、ドン・キャリスよりも嫌われている男はいないでしょう。彼がAEWへ辿り着くまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
ケニー・オメガのマネージャーとして活躍したのち、ケニーを裏切ってビッグヒールへ。竹下幸之介を従え、政治力でケニーを追い詰める彼に対して、ファンは全力でブーイングを飛ばします。
彼は90年代にプロレスラーとしてデビューし、WWF(WWE)やECWでマネージャーとして活躍しました。2004年に引退してプロレス界から離れたものの、2016年にランス・ストームと共同でPodcast番組を立ち上げ、2017年には新日本プロレスワールドの解説者やインパクト・レスリングの副社長として業界へ本格復帰。その後、新日本でケニー VS クリス・ジェリコを実現させ、 AEW設立の大きな要因を作りました。
AEWで実況アナウンサーを務めるジム・ロスは、キャリスが1997年から1998年までWWFで活動していたときのことをよく知っています。短命に終わったユニット、トゥルース・コミッションのマネージャー「ザ・ジャッカル」を名乗っていた頃の彼について、ロスは自身のPodcast番組で次のように振り返りました。
何よりも、タイミングが悪かったんだよ。上手くいっていれば、クリエイティブとしては悪くなかった。でも、彼がマネージメントしていたレスラーたちがね…。
何度か彼と実況席で働いたことがある。あの時から、とんでもない話術の持ち主だったよ。マネージャーじゃなくて、カラーコメンテーターこそが彼の天職だと思ってた。
マネージャーとしての働きがダメだったわけじゃないし、マネージャーとしてもやっていけただろう。でも、話し上手かつ聞き上手で、ダラダラと話さず要点を伝える能力を持っている人と仕事ができるのはラッキーなことなんだ。俺のドンへの評価はこんな感じだよ。
彼は聞き上手で、うまくやりたいと思っていた。ドン・キャリスの出場時間を最大にするという点で、当時のWWFはいい仕事をしていなかったと私は思う。あそこでの彼の扱い方は間違いだった。
それは部分的にはドンの事情もあったかもしれない。ドンは自分に自信があったし、この世界の良いヤツのことも悪いヤツのことも知り尽くしていたんだ。それが彼のためになったかどうかはわからないが…それにしても才能のある男だったよ。
当時をよく知るJRの言葉は重いですね。才能があれば成功できる…プロレスはそんな世界ではありません。タイミングが本当に大事。2010年代後半以降のドン・キャリスは、しっかりとチャンスを掴み、働く団体に大きく貢献し続けています。
(411MANIA)