2016年にWWEへ入団したAJスタイルズ。TNAや新日本プロレスでビッグスターとして活躍し、WWEでも大成功を収めた彼ですが、これよりも遥か前にWWEへ入団するチャンスがありました。
それは2001年のこと。WCWが崩壊し、アメリカのプロレス界が大きく揺れる中、彼は当時のWWFからディベロップメント契約をオファーされました。自身のPodcast番組で、もしこのオファーを受けていたら今の俺はいない…と思っていることを明かしました。
思い出そうとしているんだけど、WCWが潰れた後、シェイン・ヘルムズと試合をする機会があって、素晴らしい試合ができたんだ。別の奴とも試合をした後、WWEのキャンプに参加することになった。あれは確かHWAっていう、当時のWWE育成団体だったと思う。俺たちの多くがトライアウトを受けた場所だ。
当時の彼らは、俺たちのことなんてこれっぽっちも気にしていなかった。実際、「派手な飛び技なんて見たくない。そんなのは必要ないんだ」と言われたよ。今なら、彼らが何を見ようとしていたのか理解できるけどね。とにかく、そこで契約を提示されたんだ。一部の奴らはその契約を受けたけど、俺は受けなかった。
内容は週給500ドル(当時のレートで約6万円前後)で、それじゃあ生活するのもやっとだし、家には妻のウェンディがいた。彼女を置いていくなんてありえないよ。そんなの、俺のやり方じゃないからね。
でも、HWAはその約5ヶ月後に育成団体としての提携を解消したんだ。もしあそこに行っていたら、俺も一緒に干されていただろうね。断言するよ。これはダニエル・ブライアンが登場して状況を変える前の話だ。俺たちのようなサイズの人間は、当時は本当にうまく使われていなかった。
エディ・ゲレロのようなWCW組が当時どう扱われていたかは分からないけど、とにかく俺はあの時契約しなくて本当に良かったと思っている。正しい決断をしたよ。というのも、その数ヶ月後の2002年にTNAが設立されたからね。2002年6月のことだ。トライアウトからちょうど2ヶ月後くらいだったかな。だから、俺にとってはまさに理想的な展開になったんだ。あの契約を受けていたら、どこにも辿り着けなかったと思うよ。
そして、AJはTNAを象徴するスターへと成長していきます。もし彼があのオファーを受けていたら、プロレス界は今と違っていたかも…。こうしたifが山のように存在するのがプロレスのおもしろいところです。
(411MANIA)
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