現地時間8月20日に放送されたAEW Rampageでプロレス界に復帰したCMパンク。彼の復帰については様々なニュースが報じられており、どれも興味深いものばかりです。
AEW社長のトニー・カーンは団体を設立するにあたっての初期メンバーにパンクがほしいと考えていましたが、一時は関係が険悪になるほどまで交渉は難航していました。約7年半ぶりにプロレスラーとしてファンの前に現れた時、「何が起きているのかわからない、信じられない」というような表情を浮かべていた彼は、「まさか復帰するなんてな」と思っていたのかもしれません。
昨日、ESPNがパンクの復帰に関する詳細な記事を公開しました。とにかく長い記事なので、概要を紹介します(特に指示がない場合の主語はパンク)。
- 復帰前の2日間は一睡もできなかった
- 会場入りと同時に緊張と不安に襲われた
- トニーとパンクが初めて対面したのは2018年12月26日(AEW設立が発表される一週間前)だった
- WWE時代の体験から「プロレス界への復帰はあり得ない」と考えていたが、次第に考えは軟化していった。Rampageで彼の復帰を目撃したファンたちが退場時に受け取ったアイスバーのプレゼントは、2019年初頭(AEWの旗揚げ興行「Double or Nothing」が行われる前)にパンクが立ち上げから間もないアイス製造会社へ「2万本のアイスバーを作れるか」と問い合わせたことから始まった
Started at the bottom now we are in the ice cream business. #AEWAllOut #AEWonTNT pic.twitter.com/PEY8kZ1CA7
— player/coach (@CMPunk) September 1, 2021
- WWEのドクターとの裁判、かつての盟友コルト・カバナとの裁判に巻き込まれている時は「もうプロレス界に戻れない」と思っていた
- 一時は関係が悪化していたトニーと親しくなったのは2020年春。新型コロナウイルスのパンデミックが起き、お互い家にいる時間が長くなったことがきっかけで、電話で話をする機会が増えた。パンクは当時からDynamiteを見ていて、若手レスラーたちを気に入っていた
- カーンは、パンクと契約できたとしても、コロナ禍のファンがいない会場で復活させるつもりはなかった
- パンデミックが起きなかったとしても、パンクの復帰が早くなったかどうかは本人にもわからない
- パンクがAEWに好印象を持ったのは、2020年末に亡くなったブロディ・リーの病気に関する情報をAEWの関係者たちが決して外部に漏らさなかったことがきっかけ。WWEとは違う団体なのかもしれない、と考えるようになった
- WWEからも「仲介者を通じて」復帰の話が来ていたが、進展はなかった。やり取りの中で、「WWEは以前と変わっていない」という認識が強まった
- 2021年2月頃、トニーとパンクは復帰の方法や契約の金銭面について話を詰め始めた。トニーにとって、金銭面の問題はまったくなく、パンクに対して十分な年俸を与える準備ができていた
- パンクにとって年俸は大きな問題ではなかった。もし金銭面を最優先にしていたら、WWEに復帰していたかもしれない。重要なのは「自由」「クリエイティブ」「若く才能あるレスラーたちと仕事をするチャンス」だった
- トニーの構想では、パンクはPPV「ALL OUT(現地時間9月5日開催)」で復帰するはずだった。しかし、2021年春にパンクがユナイテッド・センター(彼がサプライズ登場したRampageの収録会場)での復帰を提案したため、トニーは会場のスケジュールが空いていた日(8月20日)に仮の予定を入れた
- 2021年8月2日にアイス製造会社を訪れ、15,000本分のアイスバーの頭金を支払った。本来であれば84,000ドルの注文だったが、製造会社は割引してくれた
- 復帰の2週間前にプロレスグッズ販売店「Pro Wrestling Tees」のオーナーへ復帰のニュースを伝えた。新Tシャツ制作はそこからスタートし、8月20日に間に合うよう急ピッチで準備が進められた
In less than 72 hrs, @CMPunk has the highest selling design ever on https://t.co/FhcfxY9Whc. This record was previously held by the Bone Soldier Bullet Club shirt for the last 7 years….. pic.twitter.com/RVHEYJ5bFH
— Pro Wrestling Tees (@PWTees) August 23, 2021
- 復帰当日、弁護士から「テレビに出る前にAEWの契約書にサインしたほうがいい」とメールで連絡があったので、放送開始30分前にサインした
- Pro Wrestling TeesでTシャツの販売が始まると、すぐにアクセス過多でサーバーがダウンした。サイトは12時間後に復旧し、歴代Tシャツ販売数を3日間で更新した。それまでに一番多く売れていたのはBullet ClubのTシャツで、約35,000枚。パンクのTシャツは10万枚以上の売り上げを達成する見込みで、これまでにマレーシアやUAEからの注文もあった
- 放送後、アイス製造会社には「パンクのアイスバーが欲しい」という問い合わせが複数あり、その中にはイタリアやコロンビアに住んでいる人もいた。ネットオークションではアイスバーの袋が800ドルで競売にかけられ、食べられていないアイスバーが500ドルで落札されていた
- 出番が終わり、バックステージに戻ったパンクは、緊張を和らげるために会場へ連れてきていた親友のルー・ダンジェリ(ダッドリー・ボーイズの七男「サイン・ガイ・ダッドリー」)と抱き合った
いろんな事があったんですね…。とにかく情報量の多い記事で、驚くような内容ばかりでした。